虹色のキャンバス112

Sside

じっと見つめる先のカズは

口元で微笑みながら、穏やかな雰囲気でラテを作ってくれている。

ちょっとした違和感の理由。

アイツ俺に会ってから1度も喋っていないんだ。風邪で声が出ないなんて、嘘までついて。ずっと笑顔で、たまに困ったように微笑んで。

胸の奥がギュッと痛んだ。

耳は?耳は聞こえてるって書いてあるけど。病気なのか?治らないとか、命が短いとか

もう、カズの声は聞けないんですか?

医者は精神的なものでしょうって。

いつか、本人の

心の想いを伝えたい時に

声を出せる時が来るらしい

でも、あれから1度も声を

出そうとしなくて

わかりました。

ありがとう。

LINEを終えて顔を上げると

カズがケーキを出していた。

口元を少しだけあげて

穏やかな表情をしている。

どうして

どうしてそんな表情ができるんだ

お前、もう、声が出ないんだろ?

いや。もうずっと出てないって。

それって、どれだけもどかしかったろう。

トレイに運ばれてきたラテにイチゴのショートケーキ。全部、カズの手作りらしい。

カップに口をつけて一口飲む。

うまい。カズ、お前うまいな。

クスクスと笑うカズに

自然と目が奪われた。

お前さ、いい歳のとり方したんだな。

表情が昔よりもずっと柔らかい。

カズが自分の口元を

指でツンツンしている。

ん?俺?

コクコクと頷くそれすらも可愛くて

いちいちドキドキして仕方がない。

あ、ヤベッ付いてんじゃん、口に

クスクスと微笑んで見つめられると、なんだか無性に恥ずかしくて。それでも精一杯何でもない素振りをする。

目の前にあるナフキンで口元を押さえて拭く。ケーキも上手くて、ついつい一口が大きくなる。

それまでニコニコと笑顔だったカズが、ふと視線を下げると、一瞬、表情を硬くした。

見られたよな、コレ。

左手の薬指。

結婚したんだよ、俺

なんの見栄なのか

カズに嘘をついてしまった。

離婚もして、今は誰もいないはずなのに。

もっと言えば、今後もきっとしないはずなのに。

そうですかとでも言うように

ニコリと微笑むカズ。

お前には俺はもう、過去の男だろ?

そんな奴の事なんか気にすんなよ。

そう言えば、大野とはあれからどうなったんだろう。松本先生達も何も言ってなかったけど。

聞くっつってもカズは喋れねーし。

俺なんかに聞かれたくないかもしれねーし。

カズの後ろ

コーヒーの器具には似つかわしくない

1冊の本?

あれ?それ、卒業アルバム?

パッと後ろを振り返ったカズ。

自分の背中にアルバムを隠した

ように見えた。

カズ?

顔や耳まで赤くして

なに?

それ、言わない方が良かった?

あー。すまん。別にいいよ、それ。そんなに大事なんだ?

首をふるふると振って

ハニカミながら俺の前にソレを差し出した。

見ていいのか?

表紙をめくると懐かしい校舎。

今より若い松本先生や他の同僚の先生達。

俺のクラスはあの後山口先生が見てくれたんだな。あの人なら、高3を任せても大丈夫だから。

ページをめくる事にソワソワするカズ。

ん。お前、どした?

いや別になんて声が聞こえてきそうな表情。口元を尖らせて、少し微笑んで首を振る。

懐かしい。その薄い唇とか、また、ジッと見入ってしまった。

ふふ。お前のクラスだな。

途端に背中を向けて

後ろでカチャカチャと整理をし始めるカズは、きっと恥ずかしがってんだ。自分の高校時代のって、なんかヤだよな。俺もお前には見せたくねーよ。

アルバムに視線を落とす。

可愛らしく微笑む制服姿のカズ。

俺が愛した、唯一の人。

つつと

指の腹でカズの写真を撫でた。

大好きだった。

可愛くて

愛しくて

拗ねると上目遣いで口を尖らせて

授業中にはそっぽとか向きやがって

そのくせ勉強を教えろとか懐いてきやがって

俺もさ、卒業アルバム貰ったんだけど

今まで1度も見れなかったんだよ。

なんでだろうな。

クシャりと撫でた髪から香る

うちのシャンプーの香りも

首すじに顔をうずめた時の

甘くて若しい香りも

今もまだ、こんなにも覚えている

なあ、お前はいま幸せか?

大野とは上手くいってるといいな。

松本先生と相葉みたいに、さ。

視線を感じて見上げると

カズが、眉根を寄せて俺を見ていた。

ごめんな

今でもこんなに好きで。

少しの間お互いの目の奥を見つめ

自分から先に、視線を逸らした。

いい加減カズを離してやらないと。

ごちそうさま。今日はお前に会えて本当に良かったよ。これ、お釣りいらないから。

バンを手に取ると

カズの目を見ることなく席を立つ。

古びた煉瓦作りのカフェ

所に点在する観葉植物の緑

淡い色を放つ間接照明

その店を切り盛りしてる

柔らかく微笑むカズ

忘れないよ

もうこれで充分だ。

櫻井先生っ行かないでー!()